[レポート]6年でグローバル1500人規模のエンジニアチームをつくったはなし #scrumosaka

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Clock Icon2020.07.03

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Scrum Fest Osakaとは?

2020年6月26(金)・27日(土)にScrum Fest Osakaがオンラインで開催されました。 Scrum Fest Osaka 2020@ONLINEは以下のようなイベントです。クラスメソッドではシルバースポンサーとして協賛を行いました。

Scrum Fest Osakaはスクラムの初心者からエキスパート、ユーザー企業から開発企業、立場の異なる様々な人々が集まる学びの場です。この2日間を通じ、参加社同士でスクラムやアジャイルプラクティスについての知識やパッションをシェアするだけでなく、ここで出会ったエキスパートに困りごとを相談することもできます。

[6年でグローバル1500人規模のエンジニアチームをつくったはなし]

本記事は、セッション「6年でグローバル1500人規模のエンジニアチームをつくったはなし」をレポートします。

スピーカー

  • Sun* Inc.CEO:小林泰平氏

セッション概要

スタートアップ企業のソフトウェア・サービス開発や、大手企業の新規事業開発を支援するSun Asteriskが、いかにして海外を中心に4ヶ国・6都市で1500名体制を構築してきたのか。また、ベトナムをはじめとする、海外で培ってきた人材育成や教育の手法をご紹介します。

レポート

何故、起業しようと思ったか

2012年にFramgia(現:Sun Asterisk)を創業しました。 当時、ベトナムでの開発は、オフショアでコスト削減がメインで、決まったものを作ることが多く、0→1でモノを考えてサービスするエンジニアが少なかったとのことです。このエネルギッシュで若いエンジニアにチャレンジしてもらいたく、そういう環境をゼロイチから作ろうと考えて起業しました。

小さく始めて、フィードバックをもらって改善を繰り返す、そのためにはAgileとかXPとかDevOpsのプラクティスが大切で、それが経営とかにも当てはまったというお話です。

デジタル・クリエイティブスタジオ

新規事業や、事業成長したいスタートアップ、アントレプレナーなどがやりたい事を実現するために、我々のデジタル・クリエイティブスタジオのプロ達とチームを組んで、一緒に事業創造からサービス開発、グロースハックまで行うのが、デジタル・クリエイティブスタジオです。

当時は、価値創造型のエンジニアが多くはなかったので、育成することを選択しました。様々な大学と連携し、JICAとも連携し、日本語が使えるエンジニア、日本で就職を希望する学生に日本の大学に留学などの支援をしていました。そこで、学生を育てて、日本で働く機会を提供、日本企業への就職支援などを行っていました。

様々な日本企業に入社して、そこからベトナムへのアウトソーシングをやりやすくしたり、結果7年間で300以上のプロダクトを作ってきました。現在でもAIやブロックチェーンなど、最先端の技術領域などをカバーしながら、デザインシンキング、リーンスタートアップ、アジャイルでプロダクト開発をしています。

2012年当時は、小林さんと数名の日本人エンジニアとあと50名は学生でやっていましたが、毎年倍にしていこうということで、2019年では1536人と増え、現在はフィリピンやカンボジアにも拠点を持っています。

Do It Yourself

この行動力の源になっているのが、小林さんの「パンクス魂」です。根本にあるのはDo It yourselfで、それをやり続けるための行動指針が以下になります

  • 権力に屈するな
  • 常識を疑え
  • 仲間を大切にしろ

この3つのパンクの精神をベースに、アジャイルなアプローチしています。

エンジニアをゼロから育てる

ベトナムの若者は、エネルギーに満ち溢れており、今日より明日良くなると精神で希望に満ち溢れていました。そんな彼らとだったら、何でもやれるということで、Framgiaが立ち上がりました。

ベトナムで事務所を構えた当初は、ガレージベンチャーの様な感じでスタートし、停電やネットが通じない、暑さでサーバーがやられることもあったようです。また、ネットが通じないと思ったら、LANケーブルがネズミにかじられていたことも合ったそうです。

メンバーには、プログラマーは単純労働者ではなく、ヒーローであると伝え、GAFAと比べると、今は規模は小さいかもしれないけど、そのくらいのポテンシャルはあるよねということを常に伝え、視座を上げていったそうです。Rubyを皆で勉強して、資格をとって、企業としても資格を取得したりしました。

当時のエンジニアは、Stack Overflowなど、海外のサイトで英語の技術情報をインプットしていました。また、自分たちの言語でのアウトプットの場が無いので、ベトナム語でナレッジをシェア出来るサービスをリリースしたりもしました。今では、月間MAUが33万位になり、1万人のAuthorがいるメディアに成長しました。

13時間耐久ハッカソンなどもやりました。これは、謎解きしないとオフィスの鍵の番号がわからなくて帰れないというチャレンジです。こういうチャレンジをやっていき、様々なイベント共済をしたりすることで、徐々にコミュニティが大きくなっていきました。プログラミングコンテスト、Code Warも色々なチャレンジの結果開催されるようになりました。3000人くらい参加してくれ、決勝戦はハノイに集結したり一大イベントになりました。この様なイベントを開催する背景には、エンジニアってどんな仕事をしているの?というのが家族に分かりにくいという面もあり、実際どのようなことをやっているのか見せたかったからだそうです。

産学連携

ハノイ工科大学とも産学連携をし、日本語IT育成を行っています。 1学年600人いる学生の中から、選抜した120名を5年間かけて育てていき、Ruby Ajileで実践的に進めています。今では、全部Sun Asteriskで運営しており、卒業して日本で就職するのは7割、多い時は8割くらい。卒業しない学生も含めると、9割くらいの学生は日本で働いているそうです。ハノイ工科大の最需要パートナーにも選ばれ、表彰されました。

現在は、ベトナムに4校、その他インドネシア、マレーシアなどで、1400名弱を抱えているとのことです。

攻め

企業してから、とにかくやってみることを意識し、大学の会社説明会とか大企業しかでていないようなところにでていったり、ゲリラ戦みたいなことを沢山やってきたそうです。

社内報などもその一つで、「やるならとことんやる」という考えで四半期に1回刷っているそうです。クリエイティブにもこだわっており、表紙などは、社員の方がハリウッドセレブの様な感じで写っていました。社員の人数も増えてくると、社内報の印刷の部数も増え、社会主義国なので、600部以上の場合は申請が必要になったということで、これもチャレンジして気づきを得たというお話をしていました。

攻めの考え方としては、とにかくまずアクションして改善サイクルを回す。アクションした結果課題が生まれる。課題は言い換えれば、可能性、伸びしろであり、改善していくことで、さらに良いことやモノが生まれてくるというお話をしていました。

Sun Asteriskに社名を変更

Framgiaでは、インバウンドでやっていたため、徹底的にSEOにこだわり、開発関連の検索でも上に来る状態になっていました。しかし、Framgiaという名前はベトナム人には非常に発音しにくい言葉で、これもチャレンジした結果の気づきでした。読めないならちゃんと変えようということでしたが、起業してからの7年で、Framgiaというブランド価値は高まっており、社員全員ほぼ反対したということです。

しかし、ここは強い意志を持ってやるんだという、小林さんの考えのもと、社員、ステークホルダー、クライアントに今の会社についてインタビューし、デザインシンキングでみんなで作り上げた再定義したブランドがSun Asteriskになります。

Viblo

Vibloは、創業当初に社員のナレッジの場がなかったので、作ったサービスです。現場で得たナレッジがVibloに集約されていき、外部のAuthorも参加し、今ではタレントプラットフォームになっています。

Vibloの他、Sun Asteriskでは、CI/CDの環境なども展開しており、再現性が持てる開発プラットフォームがあります。

テクノロジーによる環境変化

世界的にはテクノロジーによる環境変化が大きく起こっています。

  • タクシー業界 → Uber
  • ホテル業界 → aibnb
  • レンタルビデオ業界 → NETFLIX
  • CD業界 → Spotify
  • 銀行業界(決済・為替) → PayPal

Sun Asteriskでは、DXを実行する人がいないという社会課題を解決するためにやっています。ユーザー中心設計で進め、誰もが価値創造に夢中になれる世界を作っています。インフラや環境などが整いはじめ、大きな課題解決はやりやすくなっています。

では、課題解決が落ち着いたら、人は何をするでしょう?元々持っている、クリエイティブを使って新しい価値を作ることをやっていきたいと思います。自分自身と向き合って価値創造したい、そのためにSun Asteriskは、インフラになっていきたいというお話でした。

Q&A

ベトナムのエンジニアの凄さって何でしょうか?

最初に一緒に働いた、シニアの人は超優秀で、日本で8年位やっていた人でした。若い人たちは、貪欲さが凄く、レビューしても失敗する前提で、フィードバックの吸収の速さとレスポンスが速く、新しいこと知りたいとか、モチベーションが凄く高い。 また、ベトナムではQAの方がエンジニアの尻を叩く感じで、エンジニアも非常に楽しそうに仕事をしている。チームのバランスが非常に良い。

7年間で起きたベトナムの環境の変化はどのようなことがありましたか?

ミドルのエンジニアぐらいになると給与が倍くらいで転職する。この7年間で、ベトナム国内にスタートアップが増えたことにより、CTOとかテックリードのポジションが国内で採用しやすくなった結果だと思う。

まとめ

Sun Asteriskの創業者である小林さんから、ベトナムでの創業話を語っていただきました。立ち上げ時の苦労した話や、何でもチャレンジすることで次に繋がっていく成長の過程などのお話を聞いて、非常に熱量が高まりました。小林さんの行動指針でもある「権力に屈するな」、「常識を疑え」、「仲間を大切にしろ」は言葉にするとシンプルなんですが、実際に行動にうつすときには非常に難しいと思ってます、しかし、それをやり抜いたからこと今の成長に繋がっているのだと思います。

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